大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4499号 判決 1978年7月17日

原告 日本整油株式会社

右代表者代表取締役 高橋健二

右訴訟代理人弁護士 芝田稔秋

被告 横須賀市

右代表者市長 横山和夫

右訴訟代理人弁護士 蒲範雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  被告は原告に対し、金三四〇万円及びこれに対する昭和五〇年六月一三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言

二  被告

主文と同旨

仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

(一)  原告は、産業廃棄物の収集、運搬、処理等を営業の目的とする会社である。

(二)  被告横須賀市内において、産業廃棄物である廃油の収集、運搬を業として行うには、廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下「廃棄物処理法」という)、同政令、規則及び被告の条例等に基づき、被告の代表者である市長の許可を得ることが必要である。

原告は、昭和四八年七月三日、廃棄物処理法一四条に基づき市長に対し、廃油の収集、運搬を業として行うべくその許可申請をした。

(三)  市長は、許可申請があったときは、速やかに、右法令等に基づいて方式及び内容上の適合性を審査し、適合性が認容されれば直ちに許可する義務があり、また不備な点があれば速やかにこれを指摘して申請者に補正を促し、許可が得られる機会を与え、相当の期間内に補正しなければ理由を付して却下する等、迅速かつ適切に事務を処理する義務を有する。

(四)(1)  しかるに、被告の市長は、行政上の怠慢から右申請事件を放置し、原告が再三催促したにも拘らず、書類上何が不備なのかなんらの指摘もなく無為に長期間を費し、申請後一年七か月を経過した昭和五〇年二月二〇日に至り、ようやく原告の申請を許可した。同種の申請事件につき、被告横須賀市周辺の他の地方公共団体においては、平均して申請後約三か月間で許否を決定している。したがって、三か月経過後は無為に期間を徒過したものであり、市長の右職務行為には不作為による違法な行為があるものといわざるを得ない。

(2) しかも、被告の市長は行政指導の名のもとに地元業者に対する許可を優先させて原告の申請を握りつぶし、原告代理人の昭和四九年一一月二八日被告到達の書面による催告に対し、はじめて書類上の不備を指摘したが、市長が提出を求めた原告の取引先工場の廃油保管場所や配置図、その写真及び分析表等の書類は、本件許可要件審査のための添付書類として本来不要な書類であって、他には例がなく、原告に対するいやがらせないし差別的行為以外の何ものでもない。

(五)  原告は市長の右不作為による違法行為により次のような損害を被った。

(1) 営業上の逸失利益 金三〇〇万円

原告が市長から前記通常の審理日数である三か月後に許可を受け、被告市内において営業規模を拡大し顧客をふやしておれば、当然後記のとおり相当の利潤をあげ得たものであるところ、本件許可の遅延により営業権を侵害され、そのため商取引上の時期を失し、得べかりし利益を失った。すなわち、

(イ) 原告は業界屈指の優良企業であり、その権勢と信用は、代表者のそれと合せて絶大であり、東京都、神奈川県、横浜市等既に多くの地区において営業許可を得て稼働し実績を挙げていたから、被告市内でも多大の営業収益を挙げ得た。

(ロ) 原告は初動期間一か月一八日を控除し、遅くとも昭和四八年一一月二一日以降、被告市内において廃油月量一〇〇トンを収集することが可能であった。原告の当時の規模では少なくとも一か月五〇トンの収集、運搬を期待し、その実現は容易であった。したがって、一トン当り二万円として一か月一〇〇万円の売上げとなるところ、利益率は二割であるが、これに再生分の販売収益及びタンク清掃料を加えると、毎月三〇万円の収益を期待できた。

(ハ) ところが本件においては、申請時から許可まで一九か月一八日間を要したので、通常の審査期間と初動期間を差引くと、一五か月間に毎月三〇万円の利益を挙げ得た。したがって、その間に合計四五〇万円の利益を失ったことになるので、本訴においてその内金三〇〇万円を請求する。

(2) 弁護士費用     金四〇万円

原告は、市長に対して早期に許可されるよう催告するとともに、本件損害賠償請求事件の訴の提起、訴訟の追行を弁護士芝田稔秋に委任せざるを得なかったので、その費用として金四〇万円の支払を余儀なくされた。

(六)  地方公共団体である被告は、国家賠償法によりその公務員である代表者市長が公権力の違法な職務行為(不作為の違法行為)によって、原告に与えた損害を賠償する責任がある。

(七)  よって、原告は被告に対し、右損害金三四〇万円及びこれに対する違法行為終了の後で本訴状送達の翌日である昭和五〇年六月一三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の認否

(一)  請求原因(一)ないし(三)の事実は認める。

(二)  同(四)(1)のうち、被告の市長が昭和五〇年二月二〇日に原告の申請を許可したことは認めるが、その余は否認する。

同(2)のうち、被告の市長が原告主張の書面を受取り、主張のような書類の提出を求めたことは認めるが、その余は否認する。

(三)  同(五)(六)は、いずれも争う。

三  被告の主張

(一)  廃棄物処理法、同法施行令は、昭和四六年九月二四日に施行され、同法に基づき被告が条例及び施行規則を定めて施行したのは昭和四七年四月一日である。

原告が昭和四八年七月三日本件申請をした当時、被告市は、一般及び産業廃棄物の処理に関する許可申請の業務を清掃部業務課業務係及び作業課管理係で分担していたが、昭和四八年一〇月右許可業務を管理課管理係の所管に移し、一元的にこれを処理する機構改革並びにこれに伴う人事異動が行われた。しかして、原告の本件許可申請当時、係属中の許可申請案件は二〇数件もあり、廃棄物の内容も多種類であるところ、担当者は管理係長一名のみであり、係全般の仕事を総括する立場にあり、これらの案件を逐次審理する事務に忙殺されていた。しかも附属書類の数が多く、産業廃棄物の種類により多岐にわたっていたので、公害防止の配慮から、その処理施設、方法、人数、処理能力等を細かく審査し、慎重に許可、不許可を決定していたのである。原告主張の添付書類は公害防止の実効を期する法律の趣旨からいって、当然要求されるべき書類である。

(二)  もともと本件許可事務は、国のいわゆる機関委任事務であり、市長はこの事務を処理するに当り、特に慎重を期するよう厚生事務次官から指示を受けていたので、被告の市長は市内の産業廃棄物の排出事業所から排出量を調査して後に、廃棄物処理業者の配置態勢について検討を加え、原告のみならず、他の業者についてもその申請に対し許可をすることにしていた。

(三)  右調査、検討の結果によって許可申請をする方針を定める段階に入ったところ、昭和四九年七月八日、被告市は第八号台風による水害により未曽有の被害を受けその結果、家庭廃棄物が市中に山積したため、右廃棄物の緊急処理に清掃部の全職員が緊急動員され、すべての処理が完了したのが同年一一月中旬であった。その間、清掃部の業務は日常業務を除いて殆んど停止せざるを得なかった。

右のような実情により、緊急性を要するもの以外の内部的事務処理が遅延することはやむをえないことであり、本件許可が昭和五〇年二月二〇日になったのは不可抗力であり、原告主張のような行政上の怠慢ないし違法行為は存しない。

(四)  原告は本件申請当時、被告市内において共立農機株式会社の廃油を一か月一ないし二トン程度収集していたに過ぎず、昭和四八、九年度の被告市内における廃油処理量は一か月六〇ないし七五トン程度であったから、他の業者もあることを考えれば、原告主張の損害は全く根拠がない。

しかも本件においては、昭和四八年一〇月一六日、原被告間において許可前に現状維持ということの合意がなされ、事実上市長は原告の許可前の営業を黙認していたのであるから、原告が許可の遅延によって損害を被る理由がない。

四  被告の主張に対する原告の反論

(一)  被告の主張(一)の前段は認めるが、後段は争う。

(二)  同(二)、(三)は争う。

(三)  被告主張の事情は、いずれも本件とは関係がないし、被告側の主観的事情であって、本件については、原告の申請後佐野清掃部長が「市内業者もあるので本件不可」と内部的に決定処理し、申請書類を長期間放置していたものであって、本件許可申請の処理が遅延したことの正当事由となるものではない。

しかも、佐野清掃部長は、本件許可が包括的な営業許可であるのに個別的許可と誤解し、原告に対しては企業秘密に属する取引先の工場配置図、保管場所、廃油の分析表等不要な書類の提出まで求め、行政指導の名のもとに市内業者に有利な取扱いをしようとしていたものである。

(四)  被告主張(四)の現状維持の合意は否認する。原被告間の話合いにより被告側で黙認された営業は、共立農機一社とだけの取引であって、被告市内全域の何人とでも無許可で取引してよいというものではない。したがって、原告は無許可営業による取締りをおそれて顧客の勧誘もできず、やむなく被告市内での業務の拡張を断念し、遂に商機を逸して莫大な損害を被ったのである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因(一)ないし(三)の事実及び原告が昭和四八年七月三日被告横須賀市の市長に対し、廃棄物処理法の規定に基づき、被告市内における産業廃棄物処理業(廃油の収集、運搬)の許可申請をしたところ、これに対し、市長は昭和五〇年二月二〇日右申請を許可したことは、当事者間に争いがない。

そこで本件申請から許可に至るまでの経緯について審按するに、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告会社代表者高橋健二は、昭和四八年七月三日、被告横須賀市清掃部作業課長美才治義雄に対し、処理業許可申請書類正副二通を提出した。当時、本件許可業務は、業務課業務係の所管事項に属し、作業課はその指導指示を分担していたので、所管係である鈴木澄男業務係員に回付し、同係員は、取敢えず、上司である佐野清掃部長に供覧に付した。

同年九月一八日ころ、佐野部長は、原告の申請書類を閲覧したところ、被告市内における取扱数量が共立農機(後に株式会社共立に社名変更)の廃油月間一トンに過ぎないので、供覧用の符箋に「本市内分は量的に少なく市内業者もあるので処理可能(関口商店)、本件不可」と記載し、市内業者に取扱わせるように行政指導することを鈴木係員に指示して右書類を戻した。しかし、市内業者である関口商店(その後関東砿産株式会社に社名変更)は、同年一一月二八日に許可を受けたものであって、当時は無許可業者であった。そのため、鈴木係員は原告の申請書類を書棚に放置し、原告に対し取下の勧告又は許否の決定につき何らの連絡もしなかった。

その後同年一〇月一八日、機構改革により清掃部管理課管理係が右許可業務を一元的に取扱うことになり、これに伴う人事異動により、本件申請については管理係長斉藤力雄が担当することになった。しかし、同係では来年度予算の編成業務に追われ、事務の引継が遅延した。

(二)  昭和四九年一、二月ころ、原告会社代表者は斉藤係長に対し、電話にて強く本件申請に対する迅速な処理を要求した。そこで同係長は、処理業許可申請書類を探したところ、当時係属中の二〇数件の書類の中に原告の申請書類があるのを発見した。ところが産業廃棄物の種類も多岐にわたり、申請書添付の付属書類も数多く、これを逐次検討し、不備な点を補充するよう連絡しなければならないし、担当者は斉藤係長一名のみであり、同人は右業務のほか管理係(係長以下四名)全般の仕事を総括する立場にあったので、極めて多忙であった。そのため同年七月ころ原告会社代表者より電話にて再度強硬な督促を受けた。

(三)  同年六月二八日、被告横須賀市では排出事業所との産業廃棄物懇話会結成のための準備会を開催し、産業廃棄物に対する具体的処理対策等につき協議したが、出席者から市内の処理業者を優先的に許可し、他都市に迷惑をかけないよう自主的に配慮する必要がある旨の意見が出された。佐野部長は、市議会側の意向並びに右準備会(後に懇話会)の意見に沿い、公害防止の観点から市内で産業廃棄物を集中的に処理する施設を設け、できるだけ市外にこれを搬出しない方針で対処することにし、また市内業者の保護育成の見地から市内業者の申請にかかる案件を優先的に審査するよう部下に指示していた。

(四)  同年七月八日、被告横須賀市は台風八号による集中豪雨に見舞われ、河川の氾濫等により浸水家屋が続出して甚大な被害を被り、市内には家庭廃棄物が山積した。そのため市では災害対策本部を設けて、清掃部の全職員が約四か月間家庭廃棄物の処理清掃等緊急業務に忙殺されたので、その間は内部的事務処理が著しく遅延した。

そこで同年一〇月一六日、原告会社代表者は事務員を同行して被告市役所に赴き、佐野部長に面会を求め、許可業務の遅延事由を詰問した。右待機中、原告会社代表者は、たまたま本件申請書添付の前記供覧の符箋を発見したので、これを秘かに事務員にコピーさせた。面談に際し、佐野部長は、遅延の原因として、担当者の事務処理の不慣れ、事務体勢の不備、廃棄物処理大綱作成に時間を要したこと及び水害による緊急業務等を挙げて説明し、早急に審査のうえ許可することを約束し、その間は原告会社において現状のまま無許可営業を継続することを黙認した。その後、斉藤係長は本格的に原告の申請書類につき審査検討を加えた。

(五)  原告代理人芝田弁護士は、同年一一月二八日被告到達の書面で許可の催告をしたところ、被告の市長は同年一二月七日、二六項目にわたる書類上の不備を指摘して補正を促し、過去の経緯については話合いで現状維持ということで了解した旨解釈しているとの回答文書を送付してきた。

そこで同年一二月一三日、原告会社代表者は鈴木管理課長らと面談し、右指摘された補正書類の一部提出につき抗議したところ、斉藤係長より書類を受理しないこともある旨述べられた。

原告は翌昭和五〇年一月一七日、神奈川地方行政監察局監察官に苦情を申述べて早期許可の勧告方を要請するとともに、同月二九日右補正書類を提出した。

(六)  その際、斉藤係長は原告会社代表者に対し、改めて申請書を提出するよう求めたので、口論の結果、原告会社代表者は、申請書に昭和四八年七月三日当初申請、昭和五〇年一月二九日再提出と記載してこれを提出した。

同年二月四日、原告代理人芝田弁護士は、同月七日被告到達の上申書をもって、遅くとも二月一五日までには許可されるよう重ねて強く上申した。

同年二月一七日、斉藤係長は原告の申請書に受理印を押捺して正式に受理し、他の案件と纒めて決裁に付したところ、禀議の末、同年二月二〇日、原告の申請に対し五項目にわたる許可条件を付して漸く許可になった。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》なお、原告主張のように被告の市長が殊更原告に差別的取扱いをした事実を認めるに足る証拠は存しない。

二(一)  ところで、廃棄物処理法(昭和四五年法律第一三七号、昭和四六年九月二四日施行)一四条の規定に基づく産業廃棄物処理業の許可処分は、同法の意図する生活環境の保全等公害防止の目的から新設されたいわゆる覊束処分であり、同法に基づき都道府県知事(保健所を設置する市にあっては、市長とする。以下同じ)が許可するためには、廃棄物処理事業の用に供する施設及び申請者の能力が厚生省令で定める技術上の基準に適合するものでなければならない旨定めている。右厚生省令である廃棄物処理法施行規則一〇条の定める施設及び能力の基準では、収集及び運搬を業として行う業者の場合、産業廃棄物が飛散し、流出し、あるいは悪臭の漏れるおそれのない運搬車等の運搬施設と、同様の保管施設を備えていることを許可基準として要求し、右許可基準に適合しないものは許可をしてはならないと規定されている。

昭和四六年一〇月一六日、国は都道府県知事に対し、厚生事務次官通達をもって、廃棄物の適正処理を期するため右許可にあたっては特に慎重を期せられたい旨通達し、被告市では、昭和四七年四月一日、廃棄物の処理及び清掃条例並びに同施行規則を定めて、申請書類の様式及び手続の細目等を定めて同日施行し、これに従い申請業務を取扱うことにした。

(二)  そこで、本件申請に対し、被告の市長が応答すべき相当期間について判断するに《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

原告が本件申請をした当時、被告市には約二〇数件の同種案件が係属し、取扱い廃棄物の種類も多岐にわかれ、申請書付属の添付書類も数が多かったので、担当者において、逐次申請者の処理方法、処理能力等適合要件につき書類上又は立入調査して慎重に審査し、不備な点があればこれを指摘して補正追完させるなど最終的に許否の決定をするまでには可成りの期間を要した。そのため、被告市では事前協議の慣行に従って事務の円滑をはかり、しかる後正規に申請書を受理する取扱いをしていた。右係属件数のうち許可されたもの一五件についてしらべるに、申請後許可に至るまで一件当り平均約一年九か月を要しており、原告の申請は許可まで約一年七か月であるので、他の案件と比較すれば早く処理された方である。また原告と同じ廃油の収集運搬業についてみるに、湘南菱油株式会社(後に湘南石油株式会社と社名変更)が申請後約三か月、関東砿産株式会社が申請後約六か月でそれぞれ許可になっているが、いずれも約八か月ないし一年間、被告市と事前に協議している。一方、原告は本件申請当時、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市等関東一円の各地方公共団体にも同様の申請をなし、約三か月ないし一年間で許可を得ており、特に横浜市、川崎市では、産業廃棄物対策課(室)のような独立の機構を設けて担当者の人数も多く、適正かつ迅速に許可処分をしていた。佐野部長が原告の詰問に対し、遅延の原因として挙げた理由は、前記のとおり水害による緊急業務の点を除き、いずれも事務の輻輳、担当者の人手不足等被告側の内部的事情に過ぎず、遅延の正当事由とはなりえない。

右のような事実関係からすると、本件申請当時、係属中の案件(二〇数件)につき慎重に審査する必要があったとしても、原告の本件申請に対し、遅くとも申請後約一年間あれば、許否の決定をなし得たものと推認できる。

してみると、本件申請に対し応答すべき客観的な相当期間は、遅くとも一年間をもって相当と考えるから、これを超えて遅延した期間については、他に特別の事情のないかぎり行政上不作為の違法があったものというべきである。これを本件についてみるに、原告の申請は昭和四八年七月三日であるから、翌昭和四九年七月三日には慎重審査のうえ許否の応答をなし得たものというべきところ、その後同年七月八日に発生した自然災害による遅延原因は、本件における特別事情とはいえないし、他にこれを認めるべき資料はない。

三(一)  そうだとすると、被告市は、国家賠償法一条の規定に基づき、市長が公権力の行使に関してなした違法な不作為によって原告が被った損害につき賠償すべき責任がある。

(二)  進んで、原告主張の損害の有無について検討する。

証人高橋鉄男の証言及び原告会社代表者の供述によると、原告会社は、川崎市に中間処理施設(油水分離装置、焼却炉)を有し、関東一円の各都県で産業廃棄物処理業の許可を受け、廃油の収集、運搬業を営んでいる有力業者であり、代表者高橋健二は、東京都廃油処理業協同組合の副理事長として業界の指導的役割を果していることが認められるが、《証拠省略》によれば、原告は本件申請書記載の取扱予定数量を当初の廃油一か月一トンから三〇〇トンに書き改めて再提出し許可を受けたこと、しかるに、前記湘南石油、関東砿産等市内業者の廃油取扱実績は逐年飛躍的に増加しているのに対比し、原告は本件許可を受けた後も、株式会社共立一社のみの廃油を一か月平均約二・五トン取扱っているに過ぎず、申請当時と取扱実績は殆んど変りがないことが認められる。

前掲証人高橋鉄男及び原告会社代表者は本件申請期間中も、被告市内の排出事業所から廃油の処理、清掃の注文があったが、許可が遅れていたため取引できなかった旨供述しているけれども、これを裏付けるに足る確証はない。また、同人らは、許可を受けた後である昭和五〇年三月二六日ころ、佐野部長と面談した際、業務の拡張について再許可の要否を打診したところ、同部長が許可を要する旨の誤った見解を表明したので、議論の末、処罰をおそれて被告市内では共立一社以外に顧客を増やすことが事実上不能となった旨供述しているけれども、法令に詳しい原告会社代表者は、佐野部長の意見を訊すまでもなく、他地区と同様に法規に従い正当に営業実績を増やすことが可能であった筈である。むしろ、本件においては、既存業者がすでに取扱量を増やしていたので、原告は被告市内において新規に取引する顧客を開拓するのが困難になったものと窺われる。

してみると、原告が許可を得て初動期間を経過した後、主張のような利益を挙げ得たとする逸失利益に関する主張は、前示認定のような本件許可後の原告の取扱実績から推して、原告の業務拡張構想に基づく単なる期待的利益に過ぎず、他にこれを肯認するに足る的確な証拠は存しない。したがって、原告のこの点に関する主張は採用できない。

(三)  次に、前記のとおり原告が市長に対して早期に許可をするよう催告並びに上申し、本件訴の提起及び訴訟の追行を弁護士芝田稔秋に委任したことは、原告会社代表者の供述及び本件訴訟上明らかである。しかし、本件において、違法と認定された不作為期間は約七か月であり、すでに許可を得て違法状態は解消していること、被告の抗争はあながち不当なものといえないこと、原告主張の逸失利益が認容されないこと、その他諸般の事情を考慮すると、原告主張の弁護士費用は、右違法行為と相当因果関係に立つ損害とは認めがたい。したがって、原告の右主張もまた採用できない。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は結局理由がないことに帰するからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土田勇 裁判官 横山匡輝 石原直樹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例